東京路地裏研究会

結局、旅は出来なかった。僕に出来たのは、東京の裏道をとことん練り歩く事だった。
最初の日から殆ど寝ないで歩いた。途中で幾つかの喫茶店古書店に寄ってみたり、神社で寝転がって菓子パンを食べたりはしたけど、それ以外は意味も無く裏通りを歩き倒していた。
裏通り、路地、何処かへの近道なんかを、写真家気取りで煙草を吸い吸いカメラでバシバシ撮りながら行く。ちなみにカメラはデジカメが壊れ気味だったので、購入以来部屋のオブジェと化していたHOLGAを持っていった。それが逆に功を奏してか僕の潜在撮影意欲を沸かせてくれ、途中からはシャッターを押すのがとても気持ち良かった。
路地を彷徨っていると、突然奇妙な場所に出る事がある。視界が開けて小さな公園が出現したり、隠れ家的なバーが現れたり。まあ正直言って今回は何も出てこなかったんだけど、猫が沢山いる家だとか、そういう路地裏界では割とノーマルな奴等には出会えたのでそれらもバシッと収める。
一番面白かったのは、新宿のとある喫茶店で出会った占い師みたいな人。僕が安部公房の「密会」を読んでいたらいきなり話しかけられたんだけど、その女占い師の死後の世界に対する価値観がやけに突飛で面白かったので、ちょっと話し込んでみた。その人曰く、人は死んだら犬になるらしい。そして犬が死んだら猫に、猫が死んだらネズミに、ネズミが死んだら……という風に生き物は死ぬ度に一つ下の階層に落ちていくのだそうだ。階層っていうかただ小さくなってるだけだと思うんだけど(ちなみに人間の前は熊らしいよ)、と僕が的確な突っ込みをしても彼女はすかさず反撃してくる。それが面白くて何度も突っ込む。占い師の反論。突っ込む。だんだんと話がループしていき何ともいえない心地になる。
幸いその占い師風の女は変な宗教の勧誘とかでもなく、普通にじゃあねと言って僕らは別々の路地へと歩き出した。僕の体に発信機でも付けられていない限り、この出会いはとてもよかったと思う。無駄に路地裏界の魔力で気が滅入るよりも色んな意味で刺激的だ。今回の散策で僕が得たものはこの出会いと、宮沢賢治の詩集、木のマグカップ、新宿の路地裏で拾ったスーパーボール、あとは写真かな。何かそんな感じだ。新宿で拾ったスーパーボールはかなり刺激的だけど、それ以外は平々凡々だ。何か蟠りが溶けて無くなったわけでもなければ、人生が変わるような発見も無かった。でも何処かで納得している。そんなもんでしょう、みたいな。心に余裕が生まれたのかもしれない。行って良かったなァ、と思った。