緑のバナナ

19か20くらいの頃から、人に薦められた何かを素直に受け入れられるようになった。それまでは本でも、音楽でも、食べ物でも、人から薦められるものを、大部分を発掘された金鉱のように考えていて、だからそれらは残り物で価値の無いものだとして、よく見もしないで捨てていた。MOTTAINAI。だけど本当は世の中にある物の殆どは金鉱よりも価値があって、しかも金鉱のように有限じゃない。それに気付いてからはより一層本が好きになったし、iTunesの中身は音楽の坩堝みたいになったし、酒や煙草も奥深さが何となくだけどわかってきた。
そうやって他人と意見や情報を共有して、尚且つそれらの中から自分の意志で物を選り分けていくと、そこに自分の形をした物体が残る。それが個性だ。我ながら奇怪な形だと思う。ちょっと卑猥な感じもする。人によっては物体が教科書の鎧を纏っていたり、大量のネクタイでがんじがらめになっていたり、福沢諭吉の顔をしていたりするだろう。そういう人を僕はおりこうちゃんだとは思うが、いっしょに遊ぼうとは、言いにくい*1。逆に自分に似た個性の人には親近感が沸く。そういう風に考えるのはおそらく自分勝手なんだけど、唯一のものさしでもあるはずだ。
今更こんなこと考えてると、青臭くて嫌になるけど、どす黒いよりマシだよね。

*1:糸井さんのダーリンコラムよりちょっと引用