"渋い"とはなんだ。独自の世界観と余裕から生じる落ち着いた所作がそれを生むのか、それとも年齢と共に深く刻まれていく皺のようにそれは自然と身に付いていくものなのか。わからねえ。
渋くなりたいと思うがどうにも上手くいかない。"渋い"とは一体なんなのだ。渋さは演出可能なのか。茶か?そういえば茶のあの渋さは何処から来ているのだろう。色、香り、味、湯呑、急須。茶は見れば見るほど渋い。そして好きだ。
なぜ茶のような物に渋さがあって自分には無いのだろう。茶を飲む自分はただの茶好きで、僕自身の姿には微塵の渋さも無い。ただ、その風景の中で茶の周辺だけが僅かに光を帯びて(或いは光を吸収して)、渋さを醸し出してる。漂う白い湯気も茶独特だし、茶をすする音もまた、茶独特だ。やはりこれは茶の長い歴史が茶を茶たらしめているからなのか。ならば今の自分が渋さを得るにはまだ早いのかもしれない。でもただ歳をとっても多分渋くはなれないだろうから、僕はちょっと道をはずれて"渋"を探しに行くつもりです。さようなら。