ぼくのほんだなのつづき

まえに書いた「ぼくのほんだな」は間違っていた。
本棚の本達にあるのは、僕の記憶や知識ではなかった。そこにあったのはその本を書いた作者の、主義や主張、そして生き様だった。長い年月をかけ、それこそ人生を賭して書き上げた作者の分身。それを僕は寝ぼけていたとはいえ、自分の努力の痕跡だと思ってしまっていた。
同時に気付いたのが、本の影響力の強さである。人は誰でも他人に影響されて自身を形成する。それは知っていたのだが、知っていたからこそ、今回の勘違いはとても怖い事だと実感できる。


だが、気付く事が出来て良かった。まあ、気付いたきっかけも本なんだけど…。華氏四五一度。またもやブラッドベリ。たまたま本棚からとってその本の最初のドッグイアされたページを読んだら、そこは本を焼くことを仕事とする主人公が、生まれて初めて本を手にして、その本の持つ重みに気付くという場面だった。


僕は運が良い。たまたま本棚から選んだ本が華氏四五一度だったという事もそうだが、ちょうど良い時期にブログを始めたという事実も忘れてはいけない。もしかしたら華氏四五一度を手にした所で、何にも気付くことはなかったかもしれないからだ。

華氏451度 (ハヤカワ文庫 NV 106)