偉人はとても我儘ね

NHKのドキュメンタリードラマ、「宇宙へ〜冷戦と二人の天才〜」を見た。
冷戦という奇妙奇天烈な戦争においてアメリカとソ連の両国は、ロケット開発という名のミサイル開発を行なっていたわけだが、ここに登場する二人の天才は国をも利用して己の我儘を貫き通した。フォン・ブラウンと、セルゲイ・コロリョフの二人である。フォン・ブラウンはドイツからロケット開発の為にアメリカに渡り、アメリカの国民となり、一方ソ連コロリョフは矯正労働収容所から釈放され、ロケット開発に着手する。
二人の天才は誰から見ても身勝手で、且つ明確な天才だ。特にフォン・ブラウンは演説やインタビューで再三に渡りロケット開発の人類における重要性を訴えていたのだが、そのくせ開発されたロケットが爆薬を乗せて誰かを殺すかもしれないという懸念は彼の頭には殆ど無かったように見えた。というのも彼が人類の為だと言ってきたのは、彼自身の夢を貫き通すためだからであって、ナチ党員時代のドイツから命懸けでアメリカに渡ったのも、ロケット開発へ一縷の望みをかけたからである。そこで命を懸けたのだから自分のロケットがミサイルとして利用されようがそれで誰かが死のうが関係ないし、というより資本主義やら社会主義やらといった冷戦時代の各国の体制なんて「フォン・ブラウンの宇宙」にとってはちっぽけな存在に過ぎなかったわけだ。コロリョフも同じようなもので、彼の宇宙は他人の命よりも重かったのだろう。
そんなこんなで、ユーリ・ガガーリンが地球を周ったりアームストロングが月に立ったりして、あっという間に人類は宇宙へ到達した。その過程において沢山の人や、あと犬と猿も犠牲になったのだが、まァそれでも科学は急速に進歩したわけで、その貢献度は計り知れない。僕はいつも羨ましいと思う、その身勝手さが。そうでもしないと本当にやりたいことが出来ないとわかっていても、凡人は他人との繋がりを欲し生まれた土地に残ろうとし、せいぜいが外国に旅へ出て身内にちょっとだけ迷惑をかけるぐらいしか出来ないのだ。ただ、天才を羨む一方で、本当にそれで良いのかと思う自分も何処かにいるから困る(そう思うようになったのは同じNHKプラネテスを見たからなのだが…)。
「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」というアームストロングの名言も、コロリョフフォン・ブラウンに言わせればこう書き換えられるだろう。「多くの人間にとっては小さな一歩だが、私にとっては大きな飛躍だ」僕にとってはこの方が素直に聞けるし、なんか熱くなる。不思議とね。