近代悩楽集

先日、ある女性と食事をした。その人はいたって普通の女性で、僕としてはそれがなんとも懐かしく、楽しいデートだった。というのも、僕には僕を精神的に参らせる女性が居て、その人とは縁を切ったはずなのだが、ちょっと前にも僕の長い鼻を切られたりして未だに悩みの種となっている。そういったノーマルではない人との付き合いが長かったので、先日のデートがひどく懐かしかったのだ。
後者の女性との付き合いは、それは他人から見たら目を被うような気持ち悪いものだっただろうと思う。女はひたすら自らのセックス経験や昔の男との関係を泣きながら語り、だからキスをして、じゃあセックスをしよう、と気が違ったみたいに喚きだす。僕は僕で彼女のとりとめのない話を煙草を吸いながら、うんうん、と頷き続け、事が始まったら動物のようにそれを済ませていた。でもそれは非常に楽で、何も考えなくて良い、金も使わないで済む、そして欲求も満たされる、という豪華三点セットだったからその時はそれで楽しいと思っていたのだ。
相手は所謂変人というやつだったから、自分もそれに合わせて変人・奇人になりきることで、楽な体勢をとり続ける理由としていたのかもしれない。僕は昔から怠け者だったので、どうにか楽をしようと常日頃から模索していた。だから目の前に豪華三点セットが現れた時は一目散にそれに飛び付いたし、後悔をしてからも暫くは楽をしたいが為にその女とたまに会ったりしていた。
赤べこの様に頷き続け、変人となることで、代価として楽なライフスタイルを獲得した僕は、徐々に危機感を感じ始めた。それで最近は普通のデートがしたくなったり、彼女の出来た友人を妬んだりするようになってしまっていた。それで運良く普通のデートが出来て、先日は本当にリラックスしたんだけど、体の方は疲労でガタガタになっていた。なにしろ今まで散々楽をしてきたわけだから、女の子を楽しませたり自分を良く見せたりといった、普通のデートが困難になっていたのだった。それでも楽しいと感じられたのは相手が良かったからで、なんというかそういう所で僕もまだ終わっていないのだなと、実感できた。
それにしても普通のデートってやつは疲れる。先に書いたように、デートというものは相手を楽しませたり自分を良い人間に見せる事が出来ないといけない。それが昔からの正統なやり方だろう。はっきりいって面倒臭いが、交際の初期段階でこういうことを経験しないと人は楽にセックスをしようと思い始めてしまう。僕のように。本能を抑えきれなくなったら、それは退化だ。だからデートは勉強だと僕は思う。理屈っぽくて糞真面目な意見だけど、それが出来ないとろくな人間になれないだろうなァ。自分はそれをこなしていく自信は無い。だから結婚は出来ないと思うし、しない方が良いとも思う。でも、もう楽はしたくない。そんな葛藤が僕の中で起こっているんだけど、こうやって文章にしてみるとこれもまた青臭いなァってことで、なんかどうでも良くなってきたから電気ブランでもやって寝よ。うひょう