真の日記を書きたいのなら

生きた文章が書けない。あまりにも考え込んじゃって、文章に起こすと途端に死んでしまう。うまく流れるように慎重に慎重にゆっくりと手から離したら、裏返しになってそのまま川に沈んでしまった時の笹船のように、僕は文章を書くときにあまりにも臆病になりすぎる。今だって詰まっている。笹船の比喩をもっと引っ張ろうか、わかりにくいから他の例え話を新しく考えようか、そんな事で悩んでいる間に、最初の勢いは消えて、ほら、なんかもう駄目だ。
僕の場合、完全な妄想の世界を書こうとするとノって書ける。だけどそこに少しでも現実の匂いを感じると目を背けてしまい、僕の中の何かが書くことを拒絶するのだ。もっと素直になれれば良いのにと思う。素直にというか、無邪気に。それに日記に意味を求めてもいけない。書き続けたら人間的に立派になれるなんて思ってはいけない。見た事、聞いた事、感じた事、触った物を、新鮮な内に一気に書いてしまう。あるとすればその新鮮な感性をパックに詰めて保存して、それを後から観賞できるのが日記の利点であり、意味なのかもしれない。